一世を風靡したテレビ人でありながら、痛烈なテレビ/マスコミ批判を憚りませんでした。が、そんなラディカルな舌鋒の中にも決して笑いを忘れない。まさに大阪流儀の矜持を貫いた大阪人の生き様でした。合掌

阪神淡路大震災の際のテレビ/マスコミ批判
「日本のテレビには『思いっきり悲しがろう・悲惨さをよろこぼう(痛みいろう)』という変なセンチメンタリズムはあるが、ヒューマニズム(人間愛・人間性)を尽く喪失している(1:45)」
「ジャーナリストとか報道番組というのはテレビにはもう期待してはいけない(2:47)」
「テレビが映すとぜんぶ芸能(電波芸者)になってしまう(2:55)」

元々は大阪ローカル重視で全国進出の考えはなかったものの、痛快な舌鋒の妙が評判となった事から1990年代には東京にも進出を果たした。
東京では『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』などのTV番組を通じて全国区で活躍したが、この頃から「俺の芸は21世紀には通用しない」と語り、その発言通りに20世紀最後の年となる2000年に引退したのだった。

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