デーブ・スペクター, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=181260 / CC BY SA 3.0
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デーブ・スペクター(英語:Dave Spector、 – )は、日本を拠点に活動するアメリカ人テレビプロデューサー、タレント。
株式会社スペクター・コミュニケーションズ代表取締役。
放送作家、著作家としても活動する。
アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴ出身。
公称身長170センチメートル。
血液型はO型。
妻はエッセイスト・コラムニストの京子スペクター。
イリノイ州シカゴに誕生する。
幼少時代は子役としてアメリカでケロッグのコーンフレークのコマーシャルなどの大手企業のテレビCMに出演していた。
小学5年生の頃、日本から転校してきたワタル君という日本人少年を驚かせようと「郵便局はどこですか?」という日本語を覚え披露したところ、ワタル君は大変に感激し、「日本語(の発音)が上手だ」とほめてくれた。
それをきっかけに日本に対し強い興味を持つようになり、毎日50個以上の日本語単語を覚えることが日課となった。
なお現在でも日本語の単語を1日に3つから5つ覚えることを欠かさず、どんな場面においてもコメンテーターとして専門用語を理解し使いこなしている。
デーブはワタル君が持っていた週刊少年サンデーや週刊少年マガジンなどの少年漫画に興味を持ち、ワタル君の日本漫画を読みたいという気持ちから、学校の授業が終わったあと、週1回1時間の日本語授業を地元の日本人補習校で受け、アメリカ人でありながら卒業生総代となった。
ワタル君とは現在にいたるまで親交が続いている。
日本の漫画をよく読んでいたことについては、『おそ松くん』に出てくるチビ太がいつも手にしているおでんを見て、それが食べ物であると知るまで「何らかの武器であるに違いない」と信じ込んでいたと語っていることからも 窺(うかが)える。
まだテレビの録画技術も発展していない当時、アメリカ在住の日本人駐在員や日系アメリカ人向けに全米巡回で観賞会が開かれていた「NHK紅白歌合戦」の放映会がシカゴに回って来た際には、いっしょに観賞していたという。
「君といつまでも」(加山雄三)、「花と蝶」(森進一)にいたっては歌詞を覚えて物真似までしていた。
日本人学生を対象にしたシカゴ日系人会主催の日本語弁論大会で、2年連続優勝を果たしており、当時の状況から日系人でないアメリカ人の子供が日本語弁論大会に優勝すること自体が快挙だった。
論文の題は「三島由紀夫の生涯と自殺」であった。
1972年に上智大学に留学し、1975年にシカゴの放送学校(Institute of Broadcast Arts、IBA)を卒業した。
日本留学時代は、天地真理などのアイドルの追っかけに熱中していた。
シカゴのコメディ劇団セカンド・シティに所属したり、コメディ・ライターとして活躍した後、ABCテレビの番組プロデューサー及び番組内における日本特派員として再来日する。
憧れていた加山雄三から取った「ユウゾウ」を名乗り、副業で日本人の旅行案内員をしているときに、ロサンゼルス・リトル・トーキョーの「ホテルニューオータニ・ロサンゼルス」(現在のキョート・グランド・ホテル・アンド・ガーデンズ)にコンシェルジュとして勤務していた京子と出会い、1981年に結婚した。
アメリカABCテレビの番組の仕事のため、1983年から1987年頃までは日本とアメリカを行き来していたが、仕事の量が日本で増えるようになってからは、活動拠点を東京に移した。
なお京子との間に子供はいない。
妻と共にヒルトン東京に長期滞在するホテル生活は十数年に及び、そのユニークな生活スタイルが話題となった。
『笑っていいとも!』(フジテレビ)で「デーブ・雄三・スペクター」名でデビュー。
『おもしろプレヌーン』(テレビ東京)で日本のテレビに初出演。
巧みな話術に注目が集まり、徐々に外国人タレントとしての活動に軸足を置くようになり、ドラマやCMなどにも活動の場を広げる。
以降「ダジャレを発するアメリカ人」として、バラエティで重用される一方、各種情報番組のコメンテーターとしても活躍し、オリコン2009年「好きなコメンテーター」1位を獲得。
彼の代名詞とも言えるアメリカン・ジョークと、そこに潜ませた“的確さ”“知識の豊富さ”が支持され、唯一、全世代にわたりTOP3入りを果たし…