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43件のコメント

  1. 日本の芸能史が動いた瞬間。これまで何十回も聞いたエピソードだけどいまだに震えます。

  2. 山下洋輔トリオとの突発セッション、赤塚不二夫による芸能界デビュープロデュース
    福岡の面白素人を日本を代表するお笑いBIG3へと導いた奇妙なシンデレラストーリー

  3. 何かの本で、『乱入してきたタモリをでたらめな韓国語で咎めると、それよりも流暢なでたらめな韓国語で応じてきた』と書かれてて、初めて読んだ時、『なんだ?流暢なでたらめな韓国語ってww』と思って笑ったな。

  4. タモリの一番の取り柄て
    モノマネの芸とかトーク力とか愛嬌じゃなくて
    物怖じしない度胸なんだな

  5. 武田鉄矢今朝の3枚下ろしでこのネタが書かれていた本のテーマをやってましたね。
    3枚下ろしで語られたのは、かなり武田鉄矢さんの尾びれが付いてることがこの動画を見てわかった気がします。

  6. 奇跡的な一夜。やがて赤塚不二夫がパトロンとなり、タモリが世にデビューした。

  7. テレビファソラシドで、マジメな顔してしゃべってる加賀美アナを笑わそうと、イグアナのマネをして迫ってるタモリさんは面白かった。あれは何十年前前のことだったか...。

  8. 上記エピソードの後に高島忠夫の番組に牧師の格好で出演(自分がタモリを観たのはこれが最初)、
    中山千夏や高信太郎のラジオにゲスト出演、徹子の部屋の前身「13時ショー」に出演、
    そして「噂のチャンネル」でイグアナ、モンティパイソンのナビゲーターで出演、、、
    という順番だったように記憶してるけど違ってたら教えて
    あの頃はまさかいいともで国民的司会者になるとは夢にも思ってなかったなぁ

  9. 2:17 神さまって天才のもとに降りてくるって、
    体感できないけどすごくわかる気がする
    やっぱタモリ天才なんだな
    そしてタモリを発掘した人々も
    また天才なんだろうな

  10. オールナイトニッポンを深夜大笑いしながら聴いてるタモリマニアの高校生だった。

  11. 東京12チャンネルでモンティ・パイソン放送していてその中のワンコーナーで観たのが最初でした。タモリ氏。
    たまげた記憶あります。爆笑でした。

  12. タモさんには「ミュージックステーション」のような流行りの音楽番組よりもこういた大人の音楽番組をやってほしい。

  13. 今ほどやれコンプラだBPOだなんて
    なかった時代のTV番組ですらNGを出される密室芸
    どっかカメラの入らないイベントでやってくれないものだろうか

  14. 山下洋輔トリオがまだ売れない極貧時代に、彼らのナマ演奏を聴いて感激した安部譲二さんが、
    自分の経営するライブハウス「青山ロブロイ」にレギュラーとして出演させていた。
    まだ子供だった矢野顕子もレギュラーでピアノを弾いていた。あるとき山下が、「たいへん
    面白い男がいるから、ステージに出してあげてほしい」といって連れてきたのがタモリだった。
    即興の漫才で、二日目には立ち見が出るほどの盛況だったという。

  15. まるで、こぶとりじいさんみたいな話ですね。鬼のどんちゃん騒ぎにいきなり現れて鬼たちを喜ばせる。

  16. ウィキペディアで知ってたけど、タモさんから聞けてよかったあ。😄

    普通、知らない人の部屋に入らないよなあ。

    ・鍵がかかってなかった
    ・ここだという神様のお告げがあった
    ・同じような芸ができた
    ・追い出されなかった
    ・森田ですと本名を名乗った。

    1つでも欠けてたら、次のつながりもなく、芸能人タモリは誕生しなかった。
    喫茶店のマスターを天神でやってたんだろうか。

  17. タモリさんの出演する番組は
    タモリさんかノリノリかそうでないかはっきりわかりますよね
    まだまだタモリさんの勝手な番組が見たいです この福岡での伝説的な
    出会いの話しも本人から聞くと更に面白い

  18. 50〜70年代って文化人(作家、音楽家、芝居人、芸人など)がひとつのフィールドにいたような気がする。

  19. これ話面白すぎて、進行戻しにくかっただろうな〜
    客ももっと聞きたいって雰囲気出てただろうし

  20. 博多にいたからよかったんだろう。異文化だし、新幹線で結構近くなった時だし、音楽も用水、海綿体と枚挙の暇がない。
    ところで、いつまで「新」幹線?戦争中なのに、いつまで戦後?いつまで「新型」コロナウイルス?

  21. そして深夜枠でちょこっと出ていたタモリを一目見て「この人は面白い」ということで自分の番組に読んだのが黒柳徹子。
    その繋がりで永六輔などにも認められていった。
    黒柳・永六輔というテレビ界の超大御所に先に認められていたおかげで
    どんな芸人も俺が発見したといいたがる大橋巨泉(既に売れていた
    あのビートたけしですら、俺が発見したと言い張っていたレベル」)も、俺が発見したとは言えなかった。

  22. タモリの才能はもちろん、たまたま山下洋輔さんの部屋に歌舞伎か日本舞踊かわからない踊りで部屋の人々を笑わせたエピソード。タモリは、出逢いに恵まれた。山下洋輔に赤塚不二雄。タモリは、赤塚さんの葬儀で「私はあなたの作品の1つです」と名言を言う。才能ある人同士の出逢いは素晴らしい作品を生み出しますね。羨ましいエピソード。

  23. 漫画家でお笑い好きの高信太郎さんが池袋の芳林堂書店の前でお笑いゲリラライブすることになってまだ有名じゃなかった頃のツービートも出演したんだけどそこに赤塚不二夫先生の付き人として来てたのがタモリだって話があったな。その時は笑いの方向性が違うんで交わらなかったらしいけどお互いその時にもう知り合ってたんだね。

  24. タモリさんのしゃべりに大笑いしたけど、
    ふと思ったら、身震いするような奇跡的な出会いですね。

  25. ほんま奇跡としか思えへんよね、人生どこでどうなるか分からへんわ!山下さんのジャズもサイコーです

  26. タモリさんが赤塚不二夫さんの弔辞を読んだとき、「私も貴方の作品の一つです」と述べましたが、つくづくタモリは、あの70年代という時代が生んだ「作品」だったと感じます。ちなみに、ブラタモリのタモリさんは、もはやタモリと言う「作品」であることを辞めた、森田一義という素の人なんだなあ、と感じています。

  27. 私の曲、ワンフィガーツーストレートロックを林屋師匠タモリ先生の批評を聞きたい,アールシードサイファー

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