「悲しき街角」(かなしきまちかど、英語: Runaway)は、デル・シャノン(Del Shannon) が1961年2月に発表したシングル。ファルセットや短調から長調への転調を特徴とし、同年4月から4週連続全米一位を記録した。日本では、飯田久彦(1961年)と、柳ジョージ(1983年)がそれぞれ日本語に訳詞され、シングルとして発表された。

●飯田 久彦(いいだ ひさひこ、1941年8月23日 – )は、日本の歌手・音楽プロデューサー。東京都出身。日本大学高等学校卒業。芝浦工業大学工学部電子工学科中退。歌手時代の愛称はチャコ。デビュー当時は第一プロダクション所属。ビクター音楽産業在籍時代に、『スター誕生!』に出場したピンク・レディーを発掘した。

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38件のコメント

  1. この時代に洋楽ポップスが流行ったおかげで 日本ポップスが作られいろんな日本の曲ができて いまのJ-POPに繋がっている
    洋楽ポップスでまだ貧乏だった日本がアメリカに支払う著作権料だけでかなりの金額であった
    この時代日本がアメリカに売れるものは繊維、おもちゃ、自転車、カメラ、ミシンなどの軽工業品と造船だけで恒常的に貿易赤字であった
    当時の通産省は外貨不足で悩んでおり 音楽業界にも圧力をかけたとか(自前の国産ポップスをやれ)

  2. ポケットトランジスターとか、飯田さんのヒット曲をアップしてください。実は、小学生の頃に友達が飯田さんのレコードを中古で見つけて、私たちの間でブームが起きたんです。どハマりしました。子供なのに渋いですよね。

  3. アメリカンポップス..カバー曲の
    全盛期でしたね✨何時までも~✌️
    色焦らない名曲ですね🙋

  4. 歌い方に✢味がある✢。
    令和の若手男性歌手達は
    音大卒の楽譜通りの発声
    と単純唱法で楽しめない

  5. 印西のトニー 高校時代、九州から修学旅行で、東京・日光を廻った。ジャズ喫茶ぎんざACBと新宿ACBに行き、新宿ACBで、飯田久彦を聞いた。

  6. こんなに独特な歌声をしているのに、歌手を諦めなくてはいけなかったのは実に勿体無い事だと思う。

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