くりぃむしちゅー有田哲平が、ついに【公式】YouTubeチャンネルを開設!!
第30回は【ジャンボ鶴田】前編!1984年2月23日、ジャンボ鶴田が当時『世界3大王座』の1つとされていたAWA世界ヘビー級王座を獲得!これは鶴田にとって、全日本プロレスにとって、どんな意味があったのか!?団体の中でジャイアント馬場に次ぐナンバー2の地位を築きながらも“善戦マン”と揶揄された時代を経て、いかにして鶴田が全日本プロレスの真のエースになっていったのか――有田がファン視点から“最強”鶴田の歴史を紐解いていく!
※後編はコチラ▷https://youtu.be/MzFoTIP-EzI

■【プロレスに関する質問&相談】大募集!!
有田さんに『聞きたいこと』『相談したいこと』『語ってほしいこと』『やってほしいこと』などなど、ぜひお気軽にこちらのフォームからお送りください!
https://forms.gle/p5Tat985s8A5gucR6

■【チャンネル登録】と【いいねボタン】をよろしくお願い致します!
チャンネル登録後、「登録済み」の横にある「ベルマーク」のアイコンをタップして「すべて」を選択して頂き、ぜひ新着動画のお知らせなどの通知が受け取れるようにしてください♪

■この動画で有田さんがお話した大会・触れた大会
・1983.8.31 全日本プロレス
蔵前国技館大会(ジャンボ鶴田 vs ブルーザー・ブロディ|インターナショナルヘビー級選手権試合)
・1984.2.23 全日本プロレス
蔵前国技館大会(ジャンボ鶴田 vs ニック・ボックウィンクル|AWA世界・インターナショナル両ヘビー級選手権試合)

■チャンネルメンバーシップ登録について
[メンバーになる] ボタンからメンバーシップを登録して頂くと、不定期開催の生配信イベント『有田編集長のプロレス飲み会』をリアルタイムでご視聴頂けたり、アーカイブ公開期間は全編ご視聴頂くことができますので、ご参加希望の方はぜひ♪
☆メンバーシップ申込ページ:https://bit.ly/3jOtiB2

■チャンネル公式SNSアカウント
様々なお知らせや収録の様子などスタッフが投稿して参りますので、ぜひフォローよろしくお願い致します!
☆Twitter:https://twitter.com/aripro_wp
☆Instagram:https://www.instagram.com/arita_ainter
☆Facebook:https://www.facebook.com/aripro.wp

■視聴者のみなさまへ
有田さんが記憶をもとにその場で語っているため、多少、言い間違えたり記憶違いをされていたりすることもあるかもしれませんが、そのあたりも含めて、ぜひ有田さんの熱いプロレストークをお楽しみ頂けたらと思います!(スタッフより)

※この動画は、感染防止対策を行った上で収録しております。

#有田哲平
#プロレス
#オマエ有田だろ
#福田充徳
#全日本プロレス
#ajpw
#ジャンボ鶴田
#ジャイアント馬場

OP作詞作曲:MC JAPAN&GREEN BREW STUDIO
OPCG:斎藤良浩

©2022「有田哲平のプロレス噺【オマエ有田だろ!!】」プロジェクト

Share.

30件のコメント

  1. 14:10 福田さんまじで視聴者の心分かってるなwwww

    annリスナーからしたらこの試合通しての評価は9.0の大車輪の活躍でした。

  2. WWEはAWAのホーガン、ミーンジーン他AWAの選手、スタッフを引き抜いて一気に全米を侵攻しましたので、ガニアに先見の明さえあればAWAが全米制覇していたかもしれませんな。

  3. ジャンボに何が足りなかったか? 確かに強かったし迫力あって幻想湧いたけど・・・ボクシングの村田と同じ
    結局二人とも「強い鹿」なんだよ。狼の血がなかったからここまでの選手なんだな

  4. 藤波がドームでフレアーからNWA奪取したときは生観戦していて大興奮したなぁ。まぁ、なんかルール曖昧でベルトは当時もう価値↓でしたけど。

  5. 鶴田のバックドロップは相手が飛んでないよね、柔道の乱取りみたいに綺麗に投げてるから相手によって角度を変える器用な落とし方もできた

  6. ローリングドリーマーは鶴田にはもったいないくらいの名曲だなって思ってたが
    マッチョドラゴンが藤波以外許されないように
    ローリングも鶴田のための楽曲なんだな…と後年認識をあらためたものでした
    涙の数だけ別れはあるんです

  7. その当時はWWFじゃなくて、WWWFじゃなかったですか?

    G馬場がNWAチャンピオンになったので、鶴田はAWAと言う流れで
    単純な全日の戦略なだけです。当時は世界チャンピオンのベルトに物凄い価値があったので

    G馬場も鶴田も一旦ベルトを奪取しても、直ぐに取り返されて言わゆる三日天下のチャンピオンでした。
    馬場も鶴田も向こう側からはアメリカでの長期防衛ロードも提案されたが日本を長期留守にする事は出来ないと言う事で
    短気王者で落ち着いたという事ですね。

    ニックボックウインクルはテクニシャンでその上、頑丈で長期防衛ロードが出来る選手だったので長くチャンピオンで居ました。
    この人は本人の魅力よりも挑戦者がベルトに肉薄する事で試合が白熱し人気が出るという形式の王者でした。
    NWAでもそうですが、両者リングアウトやチャンピオン側の反則負けでベルトの移動はなしと言う裁定の繰り返しでした。

    なので、その土地土地の人気者が挑戦し一旦勝つかが再戦で取り返す
    もしくは肉薄するチャンピオンのズルさに負ける…みたいな展開がマストでしたね。

    NWAインターナショナルのベルトは新日の猪木側がそれを復活させようとしていたので
    力道山の親族百田家が所属する全日が正統性を訴えて復活させたのです。

  8. ケイブンシャか分からんけど、レスラー名鑑とか技百科本があった。
    そして、猪木が一度だけ披露した新卍固めが載ってた。

  9. 現在は猪木が公式にWWF(E)のタイトル取ったことになってるよ。

    それに馬場がNWAタイトル取ったのは日本でハーリー・レイスからじゃなかったっけ?

  10. 鶴田大好き❗ニックも大好き❗AWA世界ヘビー級タイトルマッチ(正確にはWタイトルマッチ)、最高に期待してました❗続きは次回か。

  11. ジャンボのオーッについて解説の馬場さんが「なんであんな事するんでしょうかね、そんな事してるひまに攻撃すればいいのに」発言が衝撃でした馬場さんも思ってるんだと

  12. ジャンボ鶴田、若い頃動きが早いし、バックドロップ一つでもかなり効きそう。
    オンタイムでは晩年しか知らない私は驚きました。

    ジャンボ鶴田vs天龍源一郎は毎試合伝説。
    お互い倒しても、倒しても起き上がってくる。

  13. NWA、WWF、AWA、3大タイトルでしたね。
    WWWFスリーダブリュエフ当時はそうでした。
    ブルーノサンマルチノがトップ張ってました。
    それ以外には、WWAもありましたが、NWA吸収されたのかな?ただ各団体のルールが挑戦者に対して厳しかった。反訴負け防衛、リングアウトはチャンピオン移動せず、チャンピオン有利のルールがありました。

  14. ジャンボのオーは初期は誰も反応しなかったが、地道に続けているうちに皆んなでオー!と反応するようになって「継続は力なり」みたいな事がわかった。ありがとう、ジャンボさん。いつかは実家のジャンボ鶴田園に行ってぶどう狩りしたい!

  15. 馬場が凄いのは
    元NWAの副会長までに
    なった事
    黄色人種が白色人種の世界でNo2になったのが
    後にも先にも馬場だけだった

  16. あの「おー!」は、ちょっといただけませんでしたな。鶴田のセンスなのか全日本の雰囲気なのか、当時は判断がつかなかったけど。

Leave A Reply