ゲスト:元創価学会員、西東京市市議 長井秀和
故 大川隆法氏の長男、カルト宗教から国民を守る党代表 宏洋
●創価学会の池田大作死はご存命?長井秀和「なるべく引き延ばす」
●Lタイプ=LIFE is 創価学会 の人がたくさんいる。
●「先生がなくなったから創価学会はここでやめる・・・」という人が続出する可能性
●日蓮正宗の日顕さんの96歳を超える 97歳までは「亡くならない」
●八王子に住んでる説と、信濃町で高度医療技術で「ある意味」生きている説が有力
●上層部は知っている
●英雄色を好む を真似した上層部の人間がいる
●お二人の身の危険は大丈夫?
●宏洋「政治カルトとも戦っていく」
●長井「ハニトラに気を付ける」
カンニング竹山が今気になるニュースに切り込む「竹山報道局」
番組では取り上げて欲しい話題や人物のリクエスト、情報提供もメールでお待ちしています。
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#創価学会 #幸福の科学 #公明党 #カンニング竹山 #竹山報道局 #news
20件のコメント
中立が聞いて呆れる
秀和よ人が死んだ死んでない話より自分のこと心配しろ。悪鬼入護身のお前に仏の軍勢が進軍するであろう
コイツ、ほんと、デタラメもここまでくれば犯罪者。
母親があの世で泣いてる。
「平和提言」など紙ペラで出さずにメディアで喋ればいいのに。だから死亡説なんかが沸き起こるんじゃないか。
まぁ「池田大作」の商標=商品力が無くなったら、信濃町にも多大な影響があるだろうし、そうそう手放すわけにもいかないんだろうな。
聞いた話ですが…カルト統一教会自民党カルト池田創価学会公明党トップ独裁政治家達は財務省から離れないらしいですね。日本国民達のお金がウラで使い放題されてるみたいね!! カルト統一教会自民党 カルト池田創価学会公明党トップ達とウラ反社会的で、つながってると聞きましたが…ウラ犯罪やりたい放題ね 日本国内も犯罪者達が増加!😨 水面下で日本国民達の被害者も続出 😰 超恐ろしんですが… 😱
たさく死んだらスターリンみたいになっておもろいな
40年前には、テレビで創価学会や池田大作氏の悪口を元政治家のコメンテーターが発言してたよ。今は地獄に落ちてるよ!創価学会や池田大作氏の悪口を言うと地獄に落ちるよ!私は2世ですから、学会活動や朝晩の勤行をサボったら、悪い出来事が起こると思ってるよ!2世は少し怠ると幸せにならない😫
【現場の状況】
①階段踊り場の防護壁の上面に、朝木市議のものと思われる手指痕跡が3カ所発見されている。
②現場周辺で他人と争った痕跡はない。
③マンションの外壁すれすれに転落している。他人に突き落とされたとすると、外壁から離れて遠くに落ちるはずであり、不自然である。
【発見時の状況】
①午後10時30分ごろ、マンション1階のハンバーガー店の店長が、倒れて血を流している同市議を発見。何度か「大丈夫ですか?」と声をかけたところ、その都度「大丈夫です」との返答があった。
②その後、現場にやってきた同店店員が「救急車を呼びましょうか?」と聞くと、「いいです」と断り、危害を加えられたことをうかがわせる言動がなかった。
【遺体・聞き込みによる状況】
①同市議の着衣や身体に争った跡や外傷がない。
②遺体は両足を骨折しており、頭部には外傷が見られない。足を下にした状態で、高所から落下したものと考えられる。
③事件発生前後に、マンションの住人や現場付近で争うような声や物音などを聞いた者がいない。
④ストッキングが破れていたのは、現場まで裸足で歩いて行ったものと考えられる。また、現場周辺で不審な人物や車の目撃がない。
⑤転落死の数時間前から、現場付近をうち沈んだ状態で徘徊する同市議の姿が目撃されている。
矢野穂積らは“他殺説”を強硬に主張しながら、不思議なことに、警察による「草の根」事務所や明代の自宅への捜査要請を「拒否」した。
そればかりか、東村山署が当日(1995年9月1日)の状況などを聞くため遺族らに事情説明を求めても出頭せず、矢野は事件翌月の10月7日になってようやく現われた。それでも、事件当夜、「胸騒ぎがする」などと言って車で自宅に駆けつけてきた娘の直子が説明に訪れることはついになかった。
「殺された」と主張しながら、肝心の警察捜査に協力しない〝事実〟は何を意味するのか。それでいて、マスコミに対しては「他殺説」を煽るだけ煽った。彼らの目的は“事実解明”にあったわけでなく、別のところにあったと見られても仕方あるまい。
「また、本件転落死亡事件を担当した東京地方検察庁八王子支部の信田●●検事及び吉村●支部長検事は、いずれも被控訴人(※創価学会)の信者であることが認められるが、このことから同事件の捜査が公正を欠くものであったとは証拠上認められないし、まして、このことが同事件に被控訴人が関与していることの根拠となるものではない」(『東村山市民新聞』裁判の東京高裁判決文より、2001年12月26日)
※ちなみに、被疑者不詳の殺人容疑について不起訴処分がなされた時点(1997年4月14日)では、〝創価学会員〟と報道された信田検事及び吉村検事は異動によって東京地検八王子支部から離れており、不起訴処分には関与していない!!
・1996年4月1日、信田検事が年度替りの定期異動で甲府地検に異動。
・1996年7月10日、吉村検事が東京地検八王子支部長から鳥取地検検事正に異動。
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★【総体革命とは?】
昭和45年(1970年)、創価学会の池田大作会長(当時)は、青年部に詩『青年の譜』を贈った。
詩は、新世紀を担う青年の自覚を促し、人間革命(=自分自身の生命や境涯をよりよく変革し、人間として成長・向上していくこと)を機軸にした社会変革の必要性を叫んでいた。
『青年の譜』には、「総体革命」について次のように記されている(※一部抜粋)。
「由来(ゆらい) 革命には/政治 経済 教育の革命があろう/しかし/その一つひとつの/孤立した革命には/堅実はなく 無理と偏頗(へんぱ)が生ずるのだ/政治革命のみでは/血の犠牲がともない 民衆の安堵(あんど)はない/またも権力者は大衆の上に君臨していく/はたまた経済革命にも/民衆の満足はない/富なき庶民を蹂躙(じゅうりん) 空転していく/さらに教育の革命のみでも/民衆の幸(さち)はない/揺れ動く 世界の動乱に耐えないだろう
二十一世紀に生きゆく/民衆の願望は/外形のみの改革にはない/一人ひとりの哲学と思想の中に/平和裡(へいわり)に漸進的(ぜんしんてき)な/汝(なんじ)自身の/健全なる革命を願っている/これには長期の判断と/深い哲理を必要とする/これを総体革命と命名したい」
※「総体革命」という言葉だけを取り上げると、なるほど、いかにも“日本支配の野望”に向けての運動理念のように思えてしまう。だが、この言葉はそんなおどろおどろしい意味合いのものではない。
国会・司法界・中央省庁及びマスコミ各社に就職している創価大学出身者の存在は、創大生の優秀さを示す例であって、“日本支配の野望”うんぬんとは関係ない。
そもそも1995年の選挙で、初当選を果たした朝木直子が矢野穂積に議席を譲った背景には何があったのか。2人の“親密な関係”が背景にあったことは否定できない。おそらくこの議席譲渡のいきさつのなかで、母親である朝木明代は、2人の関係にただならぬものを感じていたのであろう。
矢野穂積と朝木直子の事後の共通した行動を見てみると、2人の“不適切な関係”は、実は朝木明代の死亡「以前」からすでに始まっており、そのことが明代の死亡に関係したのではないかと見る向きは多い。だからこそ2人は必死になって、明代を自殺に追い込んだ共同責任から逃れる目的で、「教団謀殺説」という荒唐無稽な推論を発信するしかなかったと見られている。
矢野穂積と直子は、朝木明代が死亡してまもない時期に、仲良く手をつないで歩いていただけでなく、あるときは直子が矢野にしなだれかかるように寄り添っていた光景すら複数の人々から目撃されている。
1995年に初出馬し、次点で落選しながら、当選した仲間(=朝木直子)の議席返上で議席をかすめ盗った矢野穂積(2021年に死去)は、裁判所から「パラノイア(=偏執病)」と認定されたこともある、日本では“異色”の自治体議員として知られる。
同時に「サイコパス」(=良心の呵責を欠如した異常人格の持ち主)の特徴を数多く兼ね備えていることでも注目されている。サイコパスの特徴の一つは、ひとの弱みに巧みに付け入り、ひとを操作する点にある。わかりやすくいえば、自分のクモの巣にかかった獲物をがんじがらめにし、自分の利益に沿って動かす点にある。
実は、そうした矢野穂積の人格の犠牲になった一人と見られるのが、1995年の市議転落死事件で有名になった朝木明代市議の存在であろう。矢野の議席譲渡事件などでストレスがこうじたのか、市内で万引き事件を引き起こし、矢野と隠蔽工作を行うなかで、最悪の事態に発展した。起訴も目前という段階で、朝木市議は転落死事件を引き起こした。その朝木市議と矢野は“不適切な関係”を、朝木家の親族から指摘されていた。客観的に見れば、2人はまさにがんじがらめの関係にあったといえよう。
その朝木明代が突然死した後、その「自殺」を打ち消すように、執拗に「謀殺説」を唱え始めたのは、なんと明代の娘の朝木直子と、矢野穂積の2人であった。この2人は、手をつないで公然と歩くなどの行為から、これまた“不適切な関係”が指摘されてきた。朝木直子にとっては、矢野はかつての家庭教師でもある。この2人の関係も、まさにがんじがらめのものといってよいだろう。
自称ジャーナリストの乙骨正生が、その最初の著作である『怪死』(1996年)において次のような記述をしたことは関係者の間でよく知られている。乙骨はそこで次のような2つの事柄を指摘していた。
①朝木明代と矢野穂積は以前からダブル不倫関係にあり、2人が草の根事務所内で性交渉している声が外に漏れていたとの噂が東村山市内で流れた。
②朝木明代の死は、娘の朝木直子と矢野穂積が不倫関係に陥り、それにショックを受けたのが朝木明代の自殺の動機であるとする噂が流された。
1995年に東村山駅前のビルから転落死した東村山市議の朝木明代(故人)は、8年前の1987年、初めて市議会選挙に立候補し、当選した。彼女の議員活動を強力にバックアップしていたのは、当時はまだ議員になっていなかった矢野穂積である(※矢野は1995年に落選するも、明代の娘である朝木直子から議席を譲り受けて初当選)。
当時、朝木明代の夫・大統氏(故人)は大手銀行に勤務するサラリーマンで、一時は札幌支店長として単身赴任の身だった。すでに矢野穂積は、朝木家の娘ら(朝木直子など)の家庭教師をつとめていた関係で、朝木家に深く入り込んでいた。朝木明代と矢野穂積は、朝木の夫がいないことをいいことに、深夜近くになっても親密に行動するなど、疑われかねない面もあったようだ。
1980年代後半のことと思われるが、朝木明代と矢野穂積の間の親密な関係をめぐり、朝木明代の夫であった朝木大統氏の兄弟らが集まり、「親族対策会議」が開かれた事実がある。場所は大統氏の実家である臨済宗の地元寺院だった。
当時、大統氏は三井信託銀行の札幌支店長として単身赴任中の身であり、その夫のいない間に、妻である朝木明代と、別に妻子をもつはずの矢野穂積との関係が世間で評判になっていたという。そうした状況に危機感を抱いた大統氏の実姉(85)が、この会議を催すために尽力したと伝えられる。
そうした会議の開催を耳にした矢野穂積と朝木明代は、疑惑を否定するためか、その後、躍起になって行動したようだ。いまに至る得意の“威嚇行動”とみてよいだろう。会議を開いた中心格の人物にも、強く当たったようである。大統氏の実姉はいたたまれなくなって、その後、東村山市から姿を消したと伝えられる。
矢野穂積は、転落死事件の渦中の1995年に「離婚」を経験したとされるが、そうした結末も、上記の経緯と因果関係がなかったとは到底思えない。
【長井秀和が創価学会から名誉毀損で訴えられた「東村山デマ事件」について】
1995年(平成7年)4月23日に行われた統一地方選挙。現職の朝木明代が所属する「草の根市民クラブ」から、新人の娘・直子と矢野穂積が東京・東村山市議選で初出馬した。朝木明代がトップ当選し、直子は4位で当選するも、矢野は次点で落選する。
矢野は、ミニコミ紙『東村山市民新聞』の編集長を務め、朝木の活動を後方支援してきた人物。直子は当選3日後、「公約実現には私より適任」とし、次点の矢野に議席を譲る目的で千葉県松戸市に転居届を提出。記者会見まで行い、当選資格を“返上”したのだ。
市選挙会の審議の末、矢野は繰り上げ当選。この直子の行為が“議席譲渡”として地元市民から批判を浴び、新聞の全国版でも取り上げられるほど物議を醸した。
この件について、東村山市民の有志らは「余りにも意図的な議席譲渡は選挙民を欺(あざむ)く議席の私物化であり、到底、認められぬ」との趣旨で、矢野の繰り上げ当選を認めた都選挙管理委員会の裁決の取り消しを求めて訴訟。結果的に、最高裁判所は議席譲渡を「無効」(1997年8月25日)と判断し、矢野はわずか2年余りで議員バッジを失った。
「転落死」事件は、初当選した朝木直子が「議席譲渡」したことから始まった。議席譲渡されてまもない矢野穂積と、朝木明代が議員控室で大喧嘩(おおげんか)する様子を目にした人がいる。時にふれて2人は感情を激しく爆発し合う関係にあった。そうしたストレスが、明代の「万引き」行為を誘発したと考えるのは自然だ。
朝木明代市議が東村山駅近くの洋品店で“万引き事件”を起こしたのは1995年(平成7年)6月19日午後3時頃。経営者の妻が万引きを「現認」し、外まで出ていって追及したところ、明代の背中のほうから1,900円のTシャツがポトリと地面に落ちた。明代は逃げるようにその場を立ち去った。これには複数(計4人)の目撃者がいる。この店は以前にも、朝木市議によるとみられる「万引き」被害を受けていたという。経営者の妻は目撃者の勧めもあり、被害届けを提出した。
★【洋品店経営者(店長)の話】
「あちらは、ウチにも学会関係者がいるといってるようだけど、妻は真言宗だし、私は浄土真宗大谷派で学会ではありません。以前、パートで学会員の女性がいたことは事実ですが、その人はもう2年も前に辞めている。事件の後に公明が協力するからと声をかけてきましたが、それも断ったぐらいです。とにかくウチは万引きされたから届け出たという当り前のことをしただけ。それに朝木さんを見間違えるはずはないですよ。前にもあの人が店に来た後、商品が無くなったことがあったんです。こっちは、またやるかな、と思って初めから注意して見てたんだからね」(『週刊新潮』平成7年8月17日・24日夏季特大号)
★捜査責任者だった千葉英司副署長(当時)は民事裁判(1999年11月15日)でこう証言している。
代理人:軽微な犯罪だと思うんですがこれを送致した理由は何ですか?
千葉:まず市議であるということ、否認をしているということ、他人のレシートを使ってアリバイを主張した。加えて、被害者(=洋品店)に対する悪質な行為が繰り返されております。
代理人:悪質な行動というのは何ですか?
千葉:お礼参り的な行動をしております。
代理人:どのようなことをしたんですか?
千葉:まず、店に行きまして、店主がいないかということで、何度も店へ訪ねております。訴えると罪になるぞという趣旨も申し向けているようであります。その後も同様のことが繰り返されております。
※要するに、軽微な事件ではあったが、公職にある者が、複数の目撃者がいるにもかかわらずそれを認めず、逆にウソのアリバイを示し、しかも告発した「被害者」である洋品店に“お礼参り”的な嫌がらせを繰り返したことで警察は「悪質」と判断したのだ。
朝木明代・矢野穂積両市議が食事をしたとする17番テーブルを担当した女性従業員の証言によると、その時刻、テーブルには、別の女性客2人が座っていたことが分かっている。その従業員は、この日、歯医者に行くために店を離れるタイミングもあり、そのテーブルに長居していた女性客2人のことをよく覚えていた。
さらに朝木市議が当初、午後3時頃に食べたとしたメニューは、その日の昼頃、すでに売り切れて無かったという。
東村山署は朝木市議のあまりにも悪質な「アリバイ工作」に、書類送検という厳しい措置をとる。これを受けて東京地検八王子支部は、朝木市議に1995年9月5日の出頭を通告した。
※朝木明代市議が、マンションの5階と6階の間の踊り場から転落したのは、1995年9月1日午後10時頃(翌2日午前1時に死亡)。
★『ブログマガジン エアフォース』より。
【矢野穂積と朝木直子が主張していた〝様々な事件〟】
①95年7月16日に発生したと矢野が主張する「暴行事件」。
②「草の根」事務所に「ばく死」と書かれた手紙と火薬のようなものが送りつけられたとする事件。
③95年8月初め、矢野が自転車で走行中、トラック2台に挟まれて引きずり回されたとする事件。
④95年8月19日、直子のポケベルに「4、4、4、4、……」という数字が打ち込まれたとする事件。
⑤95年8月20日、朝木宅の門柱の上で新聞紙が燃やされたという「放火事件」。
⑥95年9月2日未明、朝木宅の近くに「不審なワゴン車」が停まっていたとする事件。
※朝木明代市議が、マンションの5階と6階の間の踊り場から転落したのは、1995年9月1日午後10時頃(翌2日午前1時に死亡)。
【第3章「東村山事件」とは何だったのか・第42回より】
「矢野と直子は明代の転落死までの間に『様々な事件』が発生したとし、それらに創価学会が関与していたかのように匂わせた。『明代は創価学会に殺された』とする主張には根拠があると思わせるためだった。しかし、矢野らはそれをどれ一つ立証できなかった。
それどころか、矢野が主張する『暴行事件』のように、創価学会の関与どころか、すでにそれが冤罪事件だったことをうかがわせる判決さえ出ていた。矢野らが主張する『様々な事件』について、東京地裁がいずれも創価学会の関与を否定したのは当然といえる。『様々な事件』に関しては、その後の『週刊新潮』裁判でも、矢野らの主張を認めるどころか、『これらの事実のすべてが真実であるとの証拠はなく』と述べ、事件の存在そのものに対する疑念を示したほどだった。
『週刊新潮』裁判で、矢野も直子も証言台に立つことを拒否したのだった。『様々な事件』に信憑性があるとすれば、矢野が証言を拒否することはあり得ない。矢野は自ら『様々な事件』には客観的な根拠などないことを証明してしまったのである」
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【第3章「東村山事件」とは何だったのか・第34回より】
「明代の司法解剖鑑定書は、転落死事件について東村山署が『事件性は薄い』とする捜査結果を公表した時点(95年12月22日)ではまだ作成されていなかった。司法解剖が終了しても、司法解剖鑑定書の作成にはかなりの時間を要するからである。
このため、司法解剖には警察官が立ち会い、司法解剖報告書というものが作成される。同報告書は司法解剖鑑定書ほど詳細な記録や分析がなされるものではないものの、死因等の特定など捜査のために必要にして十分な情報が記載される。したがって、司法解剖鑑定書が作成されていない段階で死因等が特定されたとしても、なんら違法性が生じるものではない。
明代に対する司法解剖にあたっても、副署長の千葉が立ち会い、司法解剖報告書が作成された。解剖医から事件性を疑わせる所見はなく、また遺体に転落現場の状況と矛盾するところはなかった。『事件性は薄い』とする東村山署の判断に司法解剖が影響を与えることはなかったのである」
「朝木直子は『聖教新聞』裁判が継続中の98年8月31日(『聖教新聞』を提訴から2年後)、驚いたことに、ビルから転落した明代の救急救命活動を行った救急隊に対し、救命活動に過失があったとして東京都と救急隊員個人に対して1億3880万円の支払いを求めて提訴していた。司法解剖鑑定書はその裁判で、救急隊側から救命活動に過失がなかったことを証明する証拠として提出されたものだった」
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【第3章「東村山事件」とは何だったのか・第35回より】
「もともと救急隊が提出した司法解剖鑑定書に添付された写真はきわめて鮮明で、皮下出血による皮膚変色部や骨折箇所やその状態が写真でも確認できるようなものだった。司法解剖鑑定書は第三者が見てもその内容を確認できるようなものでなければならないから、写真が鮮明であるのは当然である。
ところが、矢野が提出した司法解剖鑑定書に添付された写真はいずれもきわめて不鮮明で、どこまでが影でどこからが皮膚変色部なのかまったく判別できないような代物だった。本来の写真に鉛筆などで改ざんを施したのではない。矢野は何度もコピーにコピーを重ねて不鮮明なものに改ざんしたのだった。救急隊が提出した本物の司法解剖鑑定書を見た者にしか気づけない巧妙なやり方だった」
「救急隊が裁判に提出した本物の司法解剖鑑定書に添付された写真を見ると、明代の左右上腕内側部に腕の裏側から1本の筋状の皮下出血の痕を確認することができた。明代が転落したマンションの5階の手すりには外側からつかまったような手指のこすった跡があった。明代が倒れていたのはマンションと隣の駐車場を隔てる1メートルほどの通路で、駐車場側には1メートルほどの高さのフェンスがあり、明代が倒れていたあたりが下方に折れ曲がっていた。
これらの状況から、明代はマンション側を向いた状態で足から落下し、その際に背中側からフェンスにぶつかったものと東村山署は判断した。司法解剖鑑定書に添付された上腕内側部が写った写真は、左右上腕の裏側がフェンスの上部に激突したものと推測できたのである」
「司法解剖鑑定書に記載された左右上腕内側部の皮下出血の痕が他人と争った証拠だと明確に主張できるのなら、矢野は救急隊が提出した鮮明な写真を『聖教新聞』裁判でも提出できたはずである。しかし、鮮明な写真を提出すれば、明代が足を下にしてフェンスに激突した事実を証明してしまう。それは明代の転落死が自殺であることを証明することにほかならない。
だからこそ矢野は、司法解剖鑑定書に添付された写真を意図的に不鮮明な状態にし、直子に無意味な図を作成させ、あたかもそれが『他殺』の証拠であるかのように偽装したのである。直子作の『上腕内側部図』3点は、のちに彼らが上梓した『東村山の闇』において『第三者が介在した証拠』として掲載したことで、みごと既成事実化を果たした。『証拠の捏造』というべきではあるまいか」
四月会すなわち自民党は、1996年(平成8年)の衆院選で「朝木事件」を政争の具として使い、十分に目的を達した。
1995年(平成7年)11月7日、衆議院で開催された「宗教法人に関する特別委員会」で朝木事件を取り上げたのは自民党の熊代昭彦である。
「私が特に問題にしたいのは、人が事件死した場合に、どこか水に落ちておぼれ死んだというようなときにも、まず他殺を疑ってとことんそれを調べる、そして、それをつぶしていって初めて自殺という結論に達するのです。ところが、この東村山署は、特に副署長さんというふうに言われておりますが、直ちに自殺説を出して頑張っている。署長も警視庁もなあなあ主義で、正義を明らかにする情熱に欠けているのじゃないか、そんなふうに思われます。
アメリカではこういう場面ではFBIが出てくる。ところが、日本はそのFBIがありません。だからこれは警察庁が出ていただく場面でありまして、国家公安委員長、この問題について今後の対応、これまでの対応、特に素早く自殺説を打ち出してしまったというのは、私は捜査のイロハを心得ないことであると思います」
副署長の千葉は、警視庁本部から鑑識や警察犬の出動を要請するなど、殺人事件並みの態勢で初動捜査を行った。その結果、現場の状況から明代の転落死には第三者の関与はないと判断し、明代が救急車の出動を断ったことなどから、マスコミに対して「事件性は薄い」とする見解を示したのである。これだけ手厚く慎重な捜査を行った千葉に対し、「捜査のイロハを知らない」とは、これほど現場の仕事をバカにし、侮蔑した発言もないというべきである。
なお、1995年9月2日、副署長の千葉は、司法解剖が終了した時点でマスコミに対して「事件性は薄い」とみているとする広報を行った。熊代はあたかも千葉が独断で「自殺説を出して頑張っている」などと揶揄するが、この広報は千葉の独断で行ったものではなく、警視庁本部の決裁を得た上で行ったものである。
東村山署の捜査がどのようなものだったか、「事件性は薄い」と判断する根拠となった捜査結果をここであらためて確認しておく。なお、これから示す捜査結果は1995年9月4日の時点でのものであり、東村山署として捜査は終了したと判断していた。東村山署としては、9月初旬にはいつでも書類送検できる状態にあった。その後の手続きは、書類を東京地検八王子支部に送致し、検察官の最終判断を待つことになる。
ただし、書類送検するには署長の許可が必要である。事件発生から1週間後、東村山署には山田正治新署長が着任していた。警察官僚出身の自民党衆議院議員・亀井静香が背後で警視庁に圧力をかけていたため、東村山署の山田署長は地検への書類送致を許可しなかった。
警察が書類送致していないという状態は、警察の段階で地検に送る書類がまだ完成していないということ、あるいは警察において捜査がまだ継続中ということと理解できる。したがって、明代の転落死事件においても、書類送致されていない時点では、仮に東村山署として結論が出ていたとしても、形式的、対外的には「いまだ捜査中で東村山署は結論を出しておらず、書類送致を見合わせている」という説明も、やろうと思えばできる状況にあるということだった。
【東村山署による捜査の結果判明した転落現場等の主な状況】
◆【転落現場】
(捜査結果)
①ロックケープハイム5階の手すりの、明代が倒れていた場所の真上の位置に、手指の跡とみられる跡が3カ所ついていた。
②その指先は階段方向(マンション側)に向いていた。
③手指跡のある箇所の手すりのマンション側には擦過痕などはついていない。
④その他の場所にも擦過痕は発見できなかった。
⑤転落した明代が発見された直後には、明代はまだ意識があった。他人から突き落とされたとすれば、被害を訴える言葉や助けを求めるはずだが、明代は「大丈夫ですか」と聞かれて「大丈夫です」と答え、被害を訴える言葉はなかった。また「救急車を呼びましょうか」との問いかけには「いいです」と救急車の出動を断り、話しかけられるのを嫌がっているように感じられたという。
(捜査結果に基づく判断)
①5階の手すりに手指の跡があり、1階から4階までの他の手すりには痕跡がないことは、5階の手すり上から転落したものと推定できる。
②他人から突き落とされたとすれば、助けを求めるなど騒ぐはずだが、そのような声や物音を聞いた者はいない。
③手指の跡が3カ所あることは、他人から抱き上げられたことが否定される。
④5階手すりの建物側に擦過痕等がないことは、他人と争った状況にはなかったことが推定される。
⑤他人が突き落としたとすれば、ビルから離れた場所に落下するはずである。明代は手指の跡のあった手すりのほぼ真下に落下したと推定されるから、他人の介在が否定される。
⑥明代から被害を訴える言葉がなく、救急車の出動を断った事実からは、明代が他人から突き落とされたものではないと推定される。
◆【遺体の状況】
(検死結果)
①着衣に争ってできたような破れ、ほころびがなく、ボタンも飛んでいない。
②遺体に他人と争ってできるような変色、皮膚剥離等、防御創と認められる創傷はない。
③頸部に損傷、圧迫痕等がなく、溢血点もない。
④左右上腕、前腕、手指等に他人からつかまれたような変色等はない。
⑤左右の手、爪にも損傷はない。
⑥着衣、身体に、手すりを無理やり越えさせたような擦過痕はない。
(検死結果に基づく判断)
①嫌がる者をつかまえて、手すりを越えて転落させるには、着衣に損傷、汚れ、身体に変色、表皮剥脱等ができるが、それがないことは、他人が突き落としたことが否定される。
②転落位置のフェンスや換気口の損傷状況と、遺体の創傷の間に矛盾がない。このことは、遺体の創傷が他人によってではなく、転落の際にできたものと推定できる。
◆【司法解剖】
(解剖結果)
①死因は出血性ショック(多発性肋骨骨折、肺損傷、左右腓骨骨折及び左脛骨骨折等に基づく)。
②検査の結果、酒酔い状態もなく、薬物毒物の反応もない。
(解剖結果に基づく判断)
①司法解剖の結論は、検死、捜査に基づく判断と矛盾しない。
②薬物毒物反応がないということは、他人が薬物等を使用して転落させたことが否定される。
★確定した(2009年7月3日に上告不受理が決定)インターネット『創価問題新聞』裁判の東京高裁判決(2009年1月29日。被控訴人は千葉英司氏)より。
「控訴人ら(※矢野穂積・朝木直子)は、司法解剖鑑定書記載の本件損傷の存在により本件転落死が他殺であることが推認されると主張する。
しかしながら、司法解剖鑑定書には、本件損傷が他人と争ってできた可能性があることをうかがわせる記載はなく、本件損傷の存在からは、鈴木医師の意見書に記載されているとおり、その生成原因として、明代が他人ともみ合って上腕を強くつかまれた可能性があることが認められるだけであり、明代が他人に突き落とされて本件転落死したことまで推認できるものでないことは明らかである。また、鈴木医師が控訴人らの鑑定嘱託を受けて作成した鑑定書には、本件損傷が生じた原因について、『自分で強く掴(つか)むとか、救急隊員が搬送する際に強く掴むとか、落下の際、手すりにより生じたことも、落下の途中で排水縦パイプに衝突して生じたこととか、落下して地面のフェンスとか、排気口との衝突で生じたこともあり得ず、従って、他人と揉み合った際に生じたことが最も考え易い』とされているところ、『自分で強く掴む』ことがあり得ないことは、『正常の人なら』そのような事態が生じることはあり得ないとするものであるが、明代が正常な状態でなければ(明代が自殺したとすれば、正常な状態でなかったということができる)、そのような事態が生じることがあることを否定していないと考えられ、また、他の可能性を否定する根拠も十分なものでないといわざるを得ず(鈴木医師が控訴人らから提供されて検討したとする証拠類によって、他の可能性を否定することはできない)、鈴木医師の鑑定書の上記記載は採用することができない。
そして、司法解剖鑑定書の記載に加えて、前記(ア)b認定の明代の転落前後の状況(明代が転落前に人と争った気配はないこと、明代が転落後に意識があるのに、救助を求めていないこと、明代が落ちたことを否定したこと、明代が転落箇所から真下に落下していること等)を併(あわ)せ考慮すると、明代が他人に突き落とされたもの(他殺)ではないことがうかがわれる。
以上によれば、本件転落死が殺人事件であると認めることは到底できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない」
「以上によれば、明代が万引きをしていない(本件窃盗被疑事件がえん罪である)と認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない」
「控訴人ら(※矢野穂積・朝木直子)は、別件訴訟のいわゆる潮事件判決及びいわゆるFM放送事件判決(※第1次FMひがしむらやま裁判の高裁判決)によっても、真実性又は相当性が認められると主張するものと解される。
しかしながら、いわゆる潮事件判決は、明代が本件窃盗被疑事件の犯人の可能性は相当程度に達するものと思われるが、なお明代を本件窃盗被疑事件の犯人と断定するには足りない、明代の死因が自殺であるとみる余地は十分にあるが、なお明代が自殺したとの事実が真実であると認めるには足りないとしたものであり、本件転落死が殺人事件である(明代の死因が他殺である)こと、及び明代が万引きをしていない(本件窃盗被疑事件の犯人でない)ことが真実であるとしたものではなく(明代が万引きをし、万引きを苦にして自殺したことは同判決で否定された旨の控訴人らが出版した書籍の記述は、当たらない)、その上記説示に照らすと、控訴人ら主張の真実性を否定する趣旨であることが明らかである。次に、いわゆるFM放送事件判決は、アザ(本件損傷)が他殺を疑わせる証拠となるようなものであることについての相当性について判断しただけであり、その真実性については判断しておらず、まして、本件転落死が殺人事件である(明代の死因が他殺である)としたものでないことが明らかである」
★『ブログマガジン エアフォース』(宇留嶋瑞郎氏)の「エフエム東村山・東村山市民新聞併合事件最高裁判決」(2008年9月18日)より。
余談だが、最近になって万引きを苦に自殺した故朝木明代の司法解剖鑑定書に記載された上腕内側部の皮膚変色痕(アザ)をめぐり、これを「他殺の証拠」とする矢野(※穂積)・朝木(※直子)の主張を鵜呑みした妄言が飛び交っている。中には、捜査機関に対して訴追請求すべきと呼びかけている珍しい人もいるらしい。
その根拠として挙げられているのが、①司法解剖鑑定書が作成されたのが事件発生から3年後の平成10年7月21日だったこと(3年も要したことは不審である)②権威ある法医学者が「他人からつかまれた痕である可能性が高い」と認定していること――である。
これらの点について若干説明しておこう。
まず①については、通常、司法解剖鑑定書が作成されるのは他殺が強く疑われる場合(公判に必要な場合)である。明代の転落死については、救急車の出動を断ったなどの捜査結果から、ほぼ自殺と断定されていた。だから司法解剖はしたものの鑑定書の作成までは要求しなかったということにすぎない。
矢野らは「司法解剖鑑定書が作成されていないのに自殺と結論づけたのは根拠がない」などとも主張しているが、警察は司法解剖に立ち会い、解剖医の説明を基に司法解剖鑑定書に匹敵するほどのきわめて詳細な「解剖立会報告書」を作成している。したがって、司法解剖鑑定書が作成されないままに「自殺」と結論づけたとしても、そのことをもって捜査が不十分だという根拠にはならない。解剖立会報告書が司法解剖鑑定書に代わるものとして捜査書類とともに送検され、その結果、東京地検は「自殺の疑いが濃い」とする結論を公表したのである。
■遺体も現場も見ないまま「鑑定」した大家
確かに、明代の上腕内側部のアザについて「他人からつかまれたものである可能性が高い」とする意見(「亡朝木明代殿に関する意見書」)を述べている法医学者もいる。山形大学名誉教授の鈴木庸夫(つねお)である。鈴木は平成18年になって矢野、朝木から「鑑定」を依頼されているが(もちろん有料で)、その「鑑定」資料として提供されたのは死体検案書と司法解剖鑑定書だった。いわば、鈴木が行ったのは司法解剖鑑定書の鑑定にすぎない。
司法解剖とはいうまでもなく、生の遺体を観察、解剖するものであり、司法解剖鑑定書はその結果を記録するとともに、現場の状況等から総合的にその死因を鑑定するものである。明代の遺体には多くのアザ(内出血)が存在したが、司法解剖では当然、それが何かにぶつかって生じたものか、他人によってつけられたものか(つかまれたものか)の判断も行う。その結果、明代に関する司法解剖鑑定書には権威ある鈴木名誉教授のいうような、「他人の介在」や「他殺」をうかがわせるような記載はいっさい存在しない。ところが、法医学者が遺体を解剖の上、作成した司法解剖鑑定書をさらに鑑定して、まったく別の結論を導いた鈴木という法医学者とはよほどの大家なのだろう。
大法医学者の鈴木庸夫は上腕内側部のアザが「他人につかまれた可能性が高い」と結論づけたが、その論理は、「上腕内側部はアザがつきにくい部位である」→「他人からつかまれた可能性が高い」→「救急隊も明代の上腕内側部をつかんでいない」→「するとやはりそれ以外の第三者が介在した可能性が高い」というものである。大法医学者にしてはきわめてずさん、仮にも科学者とも思えない机上の論理というほかなく、このような論理に基づいて結論を導こうとすること自体、大法医学者の名を汚すものではあるまいか。
上腕内側部がアザのつきにくい部位であるとしても、他人につかまれる以外にアザがつく可能性がないかといえば、そんなことはない。明代は一瞬だったとしても手すりにつかまり(手すりに外側からつかまった跡が残っていたことは矢野も認めている)、バンザイの状態でそのまま落下し、真下の駐車場のフェンスに激突している。落下の際に上腕内側部が何かにぶつかった可能性もある。少なくともそれが人間の手でつかまれてできたものか、何かにぶつけてできたものかについて、法医学者ならまず遺体を観察し、現場の状況等から総合的に判断するだろう。
しかし、遺体も現場も見ていない名誉教授は観察する材料がない。最も重要な遺体という判断材料なしの「鑑定」とは現実的にいかなる意味を持とうか。大法医学者の「意見書」の中で、「遺体も現場も見ていない」という最大の弱点が露呈しているのが次の箇所である。
「亡朝木明代殿の死因は、高所よりの『転落による出血性ショック』とされることから、亡朝木明代殿にある創傷の成因機転は、転落の際の地面との衝突によるものであるが、転落に際して、左右上腕の内側に地面が衝突することはほとんど考えられない。従って、亡朝木明代殿の左右上腕内側の皮下出血は、この転落で生じたことはほとんど考えられず、やはり、上腕を強く揉まれた際の圧迫により生じたと推認できる」(意見書3ページ)
矢野も朝木も、この大法医学者に「鑑定」を依頼するに際して現場の状況など伝えていなかったらしい。それともこの大法医学者はフェンスが上部からの力によって下方に降り曲がった写真を見事に見落としたのだろうか。明代が地面に直接転落したのでないことは現場の状況が物語っている(まさか地面に転落した明代がバウンドしてフェンスに激突したとはいわないだろう)。つまり、この大法医学者が「上腕を強く揉まれた際の圧迫により生じたとする推認」の前提を誤っていることは明らかである。
法医学者を名乗る者として、遺体も現場も見ないまま自他殺の判断につながる意見を出すこと自体きわめて軽率であるのみならず、実際に執刀した慈恵医大の北村教授に対する冒涜であり、法医学に対する重大な違背行為にほかなるまい。この名誉教授は、遺体も現場も見ないのに鑑定はできないと矢野・朝木の要請を拒むべきだったのである。いったい何がこの名誉教授の判断を狂わせたのか。
■恐るべき思考の転倒
鑑定料に対する朝木への礼状の一節になると、この大法医学者は実際に遺体を見て鑑定したかのような錯覚に陥っているのではないかとさえ思える。鈴木は朝木にこう述べている。
「左上腕の皮下出血の部位と形(朝木の作成の図)をみると、これらは、むしろ積極的に、手で掴まれた痕跡といえるのではないかと思っています」
繰り返すが、「手で掴まれた痕跡」であるのか「衝突による皮下出血」であるのかを最終的に判断する材料は遺体と現場の状況であり、その結果が司法解剖鑑定書に記載されるのである。ところが、この大法医学者は司法解剖鑑定書のみから遺体の状況を語ろうとしている。大法医学者ともなると、司法解剖鑑定書のみによって遺体の状況が見えてくるのか。
凡人にはとうてい理解できないが、いずれにしても、この名誉教授の「意見書」が「明代は殺された」とする矢野・朝木のデマに加担する結果となっているのは事実である。さらに訴追請求を提出しようとする珍しい一団まで後押ししていると知れば、名誉教授も内心冷や汗ものなのではあるまいか。珍しい一団がこの「意見書」を証拠として捜査機関に提出すれば一笑に付されよう。学界がこの事実を知れば、山形大学名誉教授としての信用も失墜することになるのではないかと他人事ながら心配である。
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★確定した(2009年7月3日に上告不受理が決定)インターネット『創価問題新聞』裁判の東京高裁判決(2009年1月29日。被控訴人は千葉英司氏)でも、鈴木名誉教授の鑑定書にある「自分で強く掴(つか)むとか、救急隊員が搬送する際に強く掴むとか、落下の際、手すりにより生じたことも、落下の途中で排水縦パイプに衝突して生じたこととか、落下して地面のフェンスとか、排気口との衝突で生じたこともあり得ず、従って、他人と揉み合った際に生じたことが最も考え易い」という記載は、「採用することができない」と言い渡されている。
麻原が、処刑されても、大川隆法さんが、亡くなっても、信者さんは、頑張る。だから池田さんが、亡くなっても、信者さんは無くならない。死に方は、大川隆法さんみたいなのが、いいな。もうすぐ、学会は、財務の季節ですね。池田先生。集まったお金で、美術品買う元気ないだろうな。私は、メデイツチ池田とあだ名つけてます。長井さんの言葉で友達が、目を覚ましてくれればいいけど、難しいです。財務に、使うお金。私にランチ奢ってもらいたい😊
https://youtu.be/RSbRyfBME0c?feature=shared
天皇が神から象徴になったとしても宗教、北の將軍様と同じ国家の根底がカルト、それがこの国
私は正信会です。こんな事私は、35年前から知っています。
自分は、日蓮正宗です!
私たちは、創価学会が政治を裏で操ってたと思ったらまさかの統一教会だったのがびっくりしてます。池田大作は亡くなってるとは有名な話なので、もう、創価学会は力がないのかな?と思ってます。麻生さんも公明党はガンというぐらい、もう昔みたいにないのでしょうね。