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【三船敏郎・吉峰幸子】法廷で2時間罵られた妻が、21年後に選んだ介護——夫は最期まで「おばさん」と呼んだ

世界が「ミフネ」と呼んだ男が、たったひとりの妻を、法廷で2時間、罵り続けた日があります。 1976年4月23日、東京地方裁判所。三船敏郎さんは、離婚を求めて証言台に立ちました。妻の吉峰幸子さんは、それでも、判を押しませんでした。 それから16年後、三船敏郎さんは心筋梗塞で倒れ、20年連れ添った愛人のもとを離れ、ひとりになります。21年ぶりに、その手を取ったのは、あの日、法廷で罵られた妻でした。 けれど、認知症が進んでいた三船敏郎さんは、彼女を「おばさん」と呼びました。 なぜ、吉峰幸子さんは、22年ものあいだ、離婚の判を押さなかったのでしょうか。そして、自分が妻であることさえ忘れられたまま、なぜ、最期まで、そばに座り続けたのでしょうか。 信頼できる資料のみに基づき、丁寧に紐解いていきます。

━━━━━━━━━━━━━ 📌 目次 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━

オープニング —— 1995年秋、成城の家。「おばさん、死んじゃったのか」 第1章「悲しくないのに、泣けません」—— 青島の写真館から、4000人の試験会場へ 第2章「エンジンと車体」—— 黒澤明との出会い、志村喬の家、1950年の結婚 第3章「男は黙って」—— 羅生門、七人の侍、ヴェネツィア男優賞2度、三船プロ 第4章「1972年1月」—— 妻が家を出た日と、28歳年下の女優 第5章「法廷の2時間」—— 1976年4月23日、東京地裁で語られた言葉 第6章「62歳の父」—— 娘の誕生、会社の分裂、忍び寄る記憶の霧 第7章「位牌」—— 1992年、20年の関係が終わった、ふたつの理由 第8章「おばさん」—— 1993年、21年ぶりの再会。妻は訂正しなかった 第9章「今日は天気がいいな」—— 1995年、妻の死。そして1997年12月24日 エピローグ —— 2016年、ハリウッドの星に刻まれなかった、もうひとつの名前

━━━━━━━━━━━━ 📖 参考文献・出典 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━

松田美智子『三船敏郎の映画史』文藝春秋、2014年
高峰秀子『わたしの渡世日記』文藝春秋(文春文庫)— 1946年 東宝ニューフェイス試験の記述
nippon.com「『世界のミフネ』と呼ばれた男—三船敏郎」(2026年)— 三船史郎氏の証言、晩年の記録
週刊新潮・週刊女性・女性自身(1972年〜1977年)— 離婚調停および東京地裁公判に関する各誌報道
各週刊誌(1982年9月)— 娘誕生時の記者会見報道
黒澤久雄 インタビュー(各誌)—「エンジンと車体」「猛獣使い」の証言
「三船敏郎 本葬」記録(青山葬儀所、1998年1月24日/三船プロダクション・黒澤プロダクション・東宝 合同葬)
NHK 追悼特別番組『三船敏郎 男の生き方』ほか各局追悼番組
サッポロビール テレビCM「男は黙ってサッポロビール」(1970年)
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム 授与式 関連報道(2016年)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 🎙 時代を語る声 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━

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